デザインスタジオクセモノ
Xemono Inc.
2024/07/22
喋る羽目
良い作り手であるためには、自作の良い解説者である必要があるのだろうか。
人から聞いた話だが、かつて日本のあるクリエイターが、その成果からヨーロッパのアートイベントに呼ばれ、現地の人から「どうしてこんなものを思いついたのですか?」と聞かれ、「締め切りがヤバくて」と謙遜したことがヨーロッパ人をひどく失望させたらしい。
ヨーロッパでは、アートとは何か新しいことを考え抜いて作られるものであり、ノリとか締め切りとかに押されてニュルと出るものとは違うらしい。
そうなのかな、と思う。それだと締め切りに追われて連載してたドストエフスキーとか、ジャンプとかの漫画もアートではないということになるんだけど。
アートだからいいとか悪いとかではないとは思うけれど、変なものを欲しがるのだなと思う。
雑誌のロッキンオンジャパンとかを読むと、バンドのボーカルにインタビューとかしている。私は喋り慣れていなさそうな人がなんか答えたり困ったりするのを読むのが結構好きだ。
そういうのを見ていると、結局誰かの興味を引くほどにいいものを作ってしまうと、人が言葉を求めてきてしまうのかなと思う。そしたら、何も考えてないよりは何か考えを用意しておいた方がかっこいいだろうか。
喋るの下手でもいいもの作る、はあるけど、いいものができたら絶対喋らされてしまうということも、あるんだな。