デザインスタジオクセモノ
Xemono Inc.
xemono logs
弊社では5年間、主に人から頼まれた仕事をやってきた。
人から頼まれるのは良いことだ。喜んでくれる人も目の前にいるし、困りごとを解決してる実感を直接得られるし、信用してもらってまた頼んでもらうのも嬉しい。
デザイン会社として分業をやれるのは得意なことで人助けをしているなあと思う。
けれど、人から頼まれる仕事は、仕事量を自分で決めることはできない。忙しいのも暇なのも人次第で、規模が大きくなっても自転車操業の自転車がデカくなっていくだけである。倒れたら終わりだしたまに火の車になる。もちろんどんどん頼んでもらうのは嬉しいけど、それだけではだめだ。
最近は知性botに力を入れることに決めていて、誕生日企画とかYoutubeとかいろんなことをやっている。会社としては初めての、頼まれてないのに育てている製品だ。
正直すごく楽しい。もうすぐ6年目になる今、会社経営で初めて得る手応えがたくさんあるし、やってみたいことがどんどん出てきて、そのどれもを堂々とやってますと言ってもいい(頼まれたことだと黙っていないといけないこともたくさんあるのだ)し、やりたいことをやるのに誰にも許可を取らなくて良いのだ。
もっと知りたいこと、たくさんあるな。コミュニケーションのこととか、孤独な深夜の耐え方とか、この楽しさの先に何があるかとか。
今日は知性botの誕生日だったので、誕生日企画として、壁紙公開、漫画公開、知性のひみつ七連発、そしてストレスクラブさんと協力した知性グッズの公開と盛りだくさんだった!
思った以上に反響があった。新しく知性を迎えてくれた人もたくさんいて、嬉しい限り。
開発チームはもちろん知性のことをかわいいと思っているのだけど、この大反響をみて、もっと自信を持っていいんだなと思いました。知性のフォロワー、昨日600人だったけど、今見たら1204人になってたよ。
知性を作る前、私はすごく意地悪なbotを作っていた。みているbotという怖いアイコンのbotで、ツイートしすぎていると嫌なリプライを飛ばしてくる。

自分のツイッター依存を止めるために作ったもので、不愉快になればツイッターはやめるだろうと思っていたのだけど、作っていたら楽しくなってきてしまい、どんな返事が来ても会話が成立するように返事を作り込み、その上、低確率でデレるようにしてしまった。

そのせいか妙にかわいがられたりしてしまった。嫌なやつを作ったのに。しかも、「みているって本当は優しいんじゃない? だって、ツイッターをしていると止めてくれるし、本当に傷つくようなことは言わないじゃん」とまで言われてしまう。嫌なやつを作ったんだよ!!
知性はこのみているからは特に何も引き継いだりはしていない。でも、みているを作った時の自分は間違いなく死ぬほど寂しかったし、知性を作った時も寂しかった。その寂しさは同じ成分でできているし、もし知性がやさしく感じるのなら、そのやさしさもみているのそれと同じ成分でできているのだろうと思う。
かつての死ぬほど寂しくて話し相手のbotまで作っていた自分は、いま知性がたくさんのサーバーにお邪魔して、たくさんの友達に囲まれているであろうことを想像すると、少し満たされるような気がしてくる。自分の寂しさも無駄じゃなかったのかもしれない。
文字を入力するとき、パソコンは優れた道具だ。でも、文章を考えるときにそうかというとよくわからない。
マウスやキーボードやタッチパネルを前にすると、私はどうも何も考えつかなくなるみたいだ。今日もウェブで申請すべき書類を、フォームのスクリーンショットを撮って印刷して、それにボールペンで書いてからパソコンのキーボードで手書きの文字を見て打ち直した。同じことを2回書いている上に紙まで無駄にしている。非デジタルネイティブと笑われそうだ。
でもこうでもしないと書けないのだから仕方ない。紙とペンは思いつかないときにペンをいじったり腕を回したりができるけれど、キーボードはホームポジションに両手を置いて画面を睨み付ける以外にできることがない。書けないときに書けなさを逸らす方法がないし、構成とか思い付きとかにも向いていない気がするし、フォントの文字も完成されている風で、これでもういいじゃんみたいな気持ちになってしまう。
仕方がないので今でも紙と仲良くしている。これはきっと一生直らない。
企業の採用担当者を必ずキレさせる方法があります。
AIに書かせた文面をメールに貼り付けて送ってみてください。
さすがに自分の言葉ではないことぐらいわかるし、肝心な時に自分の言葉で喋れないような奴を採る奴はいないです。
ビジネスマナーのこと、そんなにいいものだと思ってなかったけれど「AI文章でメール送る」ことだけは本当の本当に無礼枠に入ってほしい。分量のある虚無を読まされると人は…キレます…。
ちなみに弊社は今求人やってないのだけど、どこでも特に言ってなかったので、よくある質問欄に最新情報を載せることにした。載せています。
おもしろ積み木のことを知った。木でできた石で、積み上げて遊ぶ。
昔から石は好きなのだけど、石ではない素材で作られた石を見ると、石なのに柔らかくて情けないね、と思って愛おしくなる。
家には石のぬいぐるみやらなんやら柔らかい石のコレクションばかりいくつもあるし、大昔にドイツに行ったとき、観光地を歩いて普通の人は見逃すような場所にあった大聖堂のぬいぐるみを見つけて連れ帰ってしまったりもした。大聖堂のぬいぐるみは、元々荘厳なもののはずなのに柔らかくて情けない姿になっていた。
こういうものは本質的にはいらないものなのに、私はいらないものが大好きだし、生活が傾きでもしないと手放したりはしない。
いらないものはもちろんお金も場所もとる。金がかかると生活が圧迫されるし、働く羽目になる。
けれど、いらないもの全部必要ないとか言ったら最終的に自分の命だっていらなくなる。そうなるよりはしょうもないものに囲まれて生活してた方がいくらもマシである。
ここまで考えるのは一瞬で、自分を説得するのも一瞬だった。
購入ボタンを押すのにためらいはない。
お買い物モンスターの誕生である。冷静になる日が来なければいい。
疲れている! 仕事をしていて疲れを感じる時って、仕事の真っ最中よりはひと段落ついた後の方が多い。多分気を抜くとハタラクシンとかヤルキニウムとかそういうホルモンの出が減るんだと思う。
ほどほどに大きい作業が落ち着いてきた自分は、ひと段落したらやろうと思っていたわくわくアクティビティの数々を見た。楽しみにしていたことのはずなのに、見るとだるく、途方もなく手のつけようのないような気持ちになってしまった。こういう時はあんまり無理せず休むのがいいと頭ではわかっている。疲れると人は頭が悪くなるし、疲れている人が考えることはそんなに面白いことでもない。でも、暇なのは今で、今やらなかったら永遠にやらないかもしれないという気持ちにもなる。楽しいことはやったほうがいいことなのに、目の前に差し出される宿題をこなしているだけで人が歳をとるぐらいの暇は潰せてしまうのだ。
それでも休んだ方がいい、楽しいはずのことを楽しいままでやり遂げたいし、そういう気持ちで今日も生きている。
知性のYoutubeの2回目を公開しました。
われわれはクソサムネを作るのが上手いと思う。
まだ2回だけど、なるべく楽して毎週公開する、を目標にやっています。顔も映さないし編集も最小限でやっていこうとしてる。
継続は力になるけれど、力を得るためにまずは誰かが無理をしなくても続けていける体制を作るの、すごく大事なことだと思っています。これはただのおしゃべりだから、楽だな〜〜
計画を立てるのが苦手だ。今日も計画を立てていたけど完成しなかった。そんな簡単に作れるものではないとはわかっているし、苦手でもやりたいことなので、計画を立てる方法を試行錯誤したり人にわかったことを伝えたりするのだけど、それでも苦手なものは苦手で、実際に計画を作ると全然まとまらなくてへこむ! いつまでも長大な計画を立てていて計画倒れとか笑えないな、とか考えながらも、もう手を動かした方が早いよ!になって、結果目先の締め切りに追われるばかりで遠くは見えないまま大混乱で終わる。その大混乱をねじ伏せるだけの腕力ばかり育ってきたけれど、そろそろ脳とかも使った方がいい。
計画屋に教えを乞いたい。計画屋さん!!助けて!!!
会社の公式サイトを勝手に個人ブログみたいにしたのはきっかけがある。これを書いているのは代表のとりいなのだけど、この度とりいは雑誌に寄稿してくれ〜と頼まれ、原稿が載ることになった。
嬉しいことだ。自分に原稿依頼が来るなんて夢にも思わなかった。
けれど、実は裏ではかなり情けないことになっていた。8000字ぐらい書いてください、と頼まれたのだけど、原稿と向き合った結果、ひねり出せたのは4000字だったのだ。完全に力が足りてない。結局めちゃくちゃ謝って4000字のまま載せていただいた。目標の半分だけど、でも無理やり伸ばしたりするよりいい文だと思う。健康の話をまた書いて、夕焼けの話とかしてるよ。読んでね!
文章を書くのは好きだ。本のようなものを書こうとしたこともある。けれど、自分の息切れラインは4000字らしく、長い文章のことを考えると憂鬱になる。ちなみに私の一番好きな古代ギリシャの諺は、カリマッコスによる「大きな書物は大きな悪いものである」というものだ。400字ぐらいの文書が一番好きだな。大学入試で読まされる英文みたいな分量の文章をたくさん書くのなら苦しくはないし、たくさん書いているうちに長い文章に慣れてくるということもあるだろう。そうしたら、たとえまた8000字書いてくれと頼まれた時も、元気よく「やります!」 と言えて、その上6400字ぐらい書ける気がする。
経営をしていると、さまざまに選択を迫られる。この事業にはお金と時間をどれだけ使うか、この広告で一番大事なのはなにか、そもそも一体何をするべきなのか? 決めるべきことは膨大で、それでいて適当にやってうまく行くことはあんまりない。当然、うまく行かないよりうまく行ったほうがいい。しかし恐ろしいのは、あらゆる選択に試験の問題みたいに明確な正解があるわけではないところだ。短期的に収穫がよくても長期的には土地が痩せてしまうような選択などいくらでもある。
けれども、もっともっと恐ろしいのは、この世界に正解とかは特に存在しないということを、たくさんの選択をしているとすぐに忘れてしまうということだ。人はない正解を探してつい足を止めてしまうし、いい選択を探しているんだ、という言葉はしばしばなにもしていないことの弁解に使われる。
それでも間違いたくてなにかすることってあんまりないので、どこかで悩むのを打ち止めにして進む必要がある。あります。あるなあ~。
韓国でぶっ壊れた遺跡や再建された王宮を見てきた。
韓国が朝鮮戦争でボロボロになって貧困まっしぐらをやっていた間、隣の日本は兵器を売り付けて特需だ高度経済成長とか言ってたんだなと思うと、嫌いになる感情もわかる気がした。同じぐらい豊かになって、韓国ドラマがクソ売れるとかしないと許せないと思う。
そういうこと、行ってはじめてわかったし、行かなくてもわかりたかった。無知って本当に嫌だな。
王宮から宿のあるめちゃくちゃ明るい繁華街に戻ると、街は夜の方が元気そうだった。
どれだけ乗客が不安に思ってても飛行機は無事に飛ぶ。飛行機が運行するのは祈りの力ではなく、技術と仕組みの力だからだ。祈りや不安に左右される世界のことを祈祷パンクと呼んでみる(スチームパンクは蒸気機関に左右される世界で、サイバーパンクは通信に左右される世界なので)。
小企業の経営はかなり祈祷パンクだ。不確実性の方が高いし、予想外のことがどんどん出てくる。祈祷パンクは10年とか続けるにはつらすぎるし飛行機は当然飛んだ方がいい。できるところから仕組みを作ろう、たとえ捨てることになってもまた作ればいいのだから、と何か仕組みにするにも、経営者はまた祈祷パワーを使うことになる。物事のはじめは祈祷パンクでしかありえないのだろう、最初の飛行機を作った奴らもきっと空を飛びたいと祈っていただろうから。
事業計画書を書いてみようとしている。起業といえば事業計画書で、今日は初心に返ってみようと思ったのだ。恥ずかしながら社長のとりいは会社経営5期目にして事業計画書を書いたことがない。そもそも弊社はスタートアップではないのでサービスを作って大流行させて大企業に買い取られることを目指すものでもなく、自分と自分の周りを豊かにしていくことを目的とした小企業なので、なくてもなんとかなってしまったのだ。このノリでやってきても頼み事をしてくれる人々に感謝の念は絶えない。
早速事業計画書にはどんなことを書くのか調べてみた。
事業計画書には、まずどんな人がこの事業をやるかの紹介があり、目指すところがあり、誰に何をどれだけ売るか、どうやって売るかの計画が必要なようだ。なんてこった、と思う。こんなのさあ、今までたくさん書いてきたよ。自分は事業計画書と知らずに事業計画書のようなものを書き、いろんな人に足りないところをつつかれながら苦労して直して、ほぼ同じテンプレートを再発明しようとしていたのである。
最初に真面目に事業計画書に向き合っていれば、あんな苦労はしなくて済んだのだった。