デザインスタジオクセモノ

Xemono Inc.

2025/07/04

ジョークの数学者

めちゃくちゃ凹んでいた。何気なく人に言われたことがあまりに本当のことすぎた上に、それは目を背けていたことすら忘れていたほど嫌なことで、しかもそれを言ってきた人はこれまでに2人いたからだ。つまり、少なくとも今回の3人目にも見えるぐらいは問題がはっきりしていて、自分だけがそれを忘れていて、忘れる程度には期間が空いていて、その間、特に良くなっていなかったということだ。

言われたのは、「これは完成形に見えない」ということだった。

自分には、ジョークの数学者みたいな部分がある。

お湯を沸かさなければならない、となった時、ジョークの数学者は「わかった!」と言う。お湯を沸かすには、水をやかんに入れて、火にかければ良いんだ! そして、そこで満足してしまう。理解の後のことはすでに終わった話だからだ。すごくこの数学者のことはわかる。

しかし、一応デザイン企業を標榜するにあたって、理解を形にしないことにはどうにもならない。理解なく、単に手を動かすだけの仕事であったとしても、ちゃんと情熱持ってやってたつもりだ。むしろ仕事においては、理解したがる姿勢の方が邪魔になると禁欲してたぐらいだった。けれども、特に良くなってはいなかったのだ。作ったものは結局「完成形に見えない」のだから。

何か成し遂げていると思ってやってたことは特にどこにも辿り着かず、最近調子がいいと思ってたのは本当は何もしていなかったからで、自分には完成したものとそうでないものの区別はつかず、自分がおもろいと思ってることが他人にはおもろくなくて、自分がカスと思ってることが他人にはカスじゃなくて、自分ができると思ってることは大したことがない。悲しいね。

けれども本当に悲しいのはそんなことではない。自分がジョークの数学者だとわかっているのに、ジョークの数学者として生きていないことが一番悲しい。

終わってない話にかまけていることができればそれが最も良い、そんなことしていいのかよ? 

しかし自分は今そこそこ稼いでる法人を持っていて、雇用を作ることだってできる。人に、頼めばいいんだ。何事も。

人って一人では生きていけないんだよな。徒党でも組むか〜。