デザインスタジオクセモノ

Xemono Inc.

Xemono 社長日記

20250720

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20250720

パスタマシン

パスタマシン

私の大好きな友人に、数学のできるZがいる。Zは何か聞くたびすごく考えて、パキッとしたことを言う。ある日、Zがものを説明しながら空中に何か置く動作をしたので、完全な興味で、それは3次元の空間に置いているのか聞いてみた。Zは少し考えて、「いや、もっとふわっとしている。3というよりは4にも5にもなるし、n次元というか」と言い出し、私は大喜びしてしまった。何次元にでも置ける思考の持ち主のZにとって、1次元にしか出てこない言葉を出すことは、パスタマシンに硬い生地を押し込むように力のいることなのだろうと思った。

もう一つ、私が短歌をやっていたころの話だ。犬の思考についての短歌連作を歌会(短歌を見せ合う会があるのだ)に出したことがある。

君は君の概念に気がついているが、言葉を持たないので誰にも伝わらないのだった

短歌か? というのは置いといて、これに寄せられたコメントとして、言葉がないのに概念に気がつくと言うことはないんじゃないか?と言われ、そうかな? と思った。

犬は数字に名前がついてることは知らないけど、散歩についてくる人の人数は把握してるように見える。途中で誰か居なくなったら絶対に探す。それを概念と言うかは難しい。けれども言葉になってなかったら、それはないということになるんだろうか。困ったな。私は本当に全然饒舌ではないけれど、喋らなかったら心を持つ存在だと気づいてもらえないかもしれないなあ。

自分にとって言語は細い細いパスタのようなものだと思う。人類は言語化というパスタマシンを発明した。あまりにそこから出るパスタの表現力が高いので、人の中にはパスタが世界の本体だと思う人すらいる。パスタマシンもパスタもそれぞれ興味深いものではあるけど、この夏、自分はパスタマシンを通って言葉になる前の生地、つまり心や世界について考えてみたいと思う。そこではZの思考や犬の心に近づくということもあるだろう。どこに向かうかはわからないけど、どこかに行ければいいなと思う。