デザインスタジオクセモノ
Xemono Inc.
Xemono 社長日記
デザイナーとして修行していたころに見た指南記事に、「要素を置く時に、なぜそれをそこにその大きさで置いたかを全て説明できるようにして、できれば作りながらも言語化しておくと良い」ということが書いてあった。なんとなくで要素置くな!という意味だ。言語化してたら改善もしやすいし、意図と結果のどこで間違ってたのかも分かりやすい。
かつての私は早速やってみよう!と思い、やってみようとしたけれど、これがひどく難しかった。配置に意図がないわけではなかったけれど、言葉で考えて置いているわけではなかったからだ。もっとふわっとした形みたいなのがあって、それを伸ばしたり縮めたり遠ざけたりしてこねこねして、良さそうなら作ってみて確認する、みたいな感じだ。そこに言語が関わることは特にない。
結局自分は過程を言葉で説明することは諦めて、できたものに後付けでこうだよと注を出していくスタイルになっている。言葉って他人とコミュニケーションするためのものだけど、過去の自分もほぼ他人と考えると、過去の自分の考えてたこともわかっていいね。
今は仕事柄、他の人に指示を出すということが多い。こういうものがほしい、と言葉で説明するのは苦労する。ほしいキーワードが先にあるわけではないからだ。言葉で見せないと相手も困るので頑張って口で言おうとするけれど、毎度必要以上に骨を折っている気がする。正確に言おうとして苦労してるのではなく、ただ単に言葉として出すのが大変なのだ。この文も意外と苦労して書いている。
しかしこれが苦労なくできる人々もいる。私の周囲の人々にはおしゃべりな人が多い。喋りながらでないと考えられないんだ、とまでいう人も居る。かつてはその饒舌に憧れたこともあったけれど、自分には無理とさすがにわかる。一体そいつらの頭はどうなっているんだろう。不思議だなと思う。