デザインスタジオクセモノ
Xemono Inc.
Xemono 社長日記
エンコードという技術がある。これは画像や音声をめちゃくちゃ長い文字に変換してコンピュータで扱えるようにする技術で、デジタル製品を扱うときにお世話にならない瞬間はほぼない。デジタル回路の集積であるコンピュータは基本的には0と1しか扱えず、画像とかは
みたいな文字列にしてから、Aは0001、Bは0010、Cは0011みたいな0と1に変換してデジタル回路で扱っている。画像も音も、文字で表す方法を開発してあるので、現代のコンピュータはマルチメディア機器としてやっていけているわけだ。
コンピュータに突っ込めば通信できるので、インターネットで存在感を示すことができるし、LLMにも食べさせて育てたりもできる。
しかしこの技術は人々の認識を少し変にしてしまったように思う。通信に乗らないことは随分小さく見積もられるようになってしまったのだ。もっというと、言語化(エンコード)されないことの価値が低い。
人類は言語を鍛え、文字列で画像までもを表せるようになった代わりに、なんでも言葉にしないと無価値だと思い始めてしまったんじゃないか。その上言葉の価値が高いというわけでもなくて、本当に大事にされているのは他人を説得する材料だ。
知らん人にもメッセージが届くようになったので、その知らん人に物買わせたり投票させたりする方法ばかり重宝されるようになってきた。弁論術が重宝されていた時代が行くところまで行ったなあと思う。
言葉の運びやすさに対して、人の脳からなかなか取り出せないものや、全然情を煽ってこないものをよく見ていきたい。もうそれだけでカウンターカルチャーになっちゃうかもしれない