Xemono 社長日記

自ら望んで不安な状況に身を置いたというのに、いざ不安になってみると怖くて仕方がない。惰性という安心ゾーンを出てよりマシな生活を手に入れようとそうなったのだが、ここまで習慣の引力が強いとは! こんな選択間違いだったのではないか、と後悔が次々と襲いかかる。別にうまくいってなかった過去を掘り返しては「この時もうまくいってなかったじゃないか」と自らの理屈に苛まれている。AIに「私って間違ってましたかね」と聞けばAIは4秒とか考えて得意の慰めをペラペラと出力し、自分は「無理じゃん無理じゃんこんなの自己正当化すぎるよ」と履歴を消す。
どうしたらいいんだよ。まだ考えている。
最近、ほぼ3年ぶりに自分がデザインしたゲーム(ニディガ)で遊んだら、記憶より自分の優しい手つきが見えたし、思い出せた。触りがたい傷から直視できる何かへと変化したのだ。そうしてまた仕事をやってもいいかの気分になって仕事を募集し始めた。自己反省する力も何となく復活して、色々と改善している。本当に恥ずかしいので反省した内容は書けない。
留学に行くと日本語が恋しくなっちゃうみたいな現象が起きているなと思う。なぜか文章まで全然書かなくなっていて、これは良くないと今書いている。失くさなくていいものは失くす必要はない。
一時期文章を書くのって楽にならないかなと様々な小細工を弄していたのだけれど、これはもう習慣にするしかないと後になって気づいた。文章筋を鍛えるしかなかったんだ。
「文章って辛いですよね?」なんてピアニストに「ピアノ弾かずに済まないんですか?」と聞くようなものだった。
大昔に通っていた大人向けのピアノ教室では、まず座り方を教わるのだった。ピアノの鍵盤のサイズは規格で全世界共通だ。座る位置が同じなら、どのピアノも同じように弾ける。迷ったら黒い鍵盤の出っ張っているのを右手と左手で捕まえて、肩の距離感を思い出すように言われたのだ。
自分も今手探りでつかむべき基準を探している途中なのかもしれなかった。