Xemono 社長日記

20260704
友達に永谷園のぶらぶら社員について教えてもらう。1979年に、突然社長から「ぶらぶらしてこい、経費も使い放題だ!」と命じられた社員が世界中を旅して帰って、最後に麻婆春雨を発明し大ヒットを飛ばす、という実話だ。
すごく羨ましいな、会社の金でどこでも行っていいなんて。
しかし、よくよくみてみると、任命されてから麻婆春雨が発売されるまで2年しか経ってない。普通、商品って作るのに1年ぐらいかかるのに。じゃあ実質1年しかブラブラしてないってことじゃん。それってあんまりブラブラしてなくないか? むしろすごいプレッシャーの中、吐きそうになりながら旅行とか行ってたんじゃ。ぶらぶらという名前とは裏腹にきつかったんだろうと思う。名目上の自由に挟まれて、実態は義務の中にある。彼のその後の人生は調べてもわからないけど、どうだったんだ? 自分の苦労が逸話になってしまう気分ってのは。

20260625
インディーで売れると、その上インターネット経由だと、孤立する。売れて恨みを買うとかそういうのではなくて、単に人々の助けが少ない状態でも売れられてしまい、仲間が少ないままになってしまうということだ。仲間が少ないということは、常識を知らないまま出て来れてしまうということでもある。なので、業界の人と話すと、その人の常識がとにかく新鮮だ。
先日、取引先候補の人に、今までの仕事をどうやってきたのか聞かれた。「うちはマックス4人ぐらいでやってて、とりいが主に何するか考えて、手も動かしたりして、社員が2人で、1人は総務で、もう1人はいろいろデザインとか補助的なことをやって、業務委託の人にも手伝ってもらってて、営業とか企画とかいて〜」と説明しづらい感じで話していると、その人はこともなげに「とりいさんがディレクターで、社員さんがAD(アシスタントディレクター)なんですね」と言った。
とても驚いた。二つとも言葉自体は知っていたけど、まさか自分たちに適用されるものとは思っていなかったのだ。いや、正確には自分はディレクターとしてスタッフロールに載ったこともあったけれど、今この瞬間もディレクターと言えるのかどうか、あまり自信がなかったのだ。
そうだ、そうだ、うちにはADがいたんだ! いろいろ係よりADって言った方がなんかありがたそうだ。名付けによって、その人の持つ力がより良く見えて、より強く定着する。ありがたい魔法だ。

20260611
ド鬱だった15年前、当時の友達に「お前は中国を見た方がいい、見たら絶対良くなる、元気出せ」と言われて絶縁した。当時の自分は、元気出せと言われるのも耐えられないぐらいに日々が無理だったのだ。
そしてそれから15年、今年の4月、別の友達に「杭州で漢詩に歌われた湖を見ようよ」と誘われて中国に行くことにした。2日かけて湖を歩いて一周。春の西湖はすごく良かった。今まで行ったところの中で1、2を争うぐらい良かった。お茶も美味しい。中国語でメニューが読めなくても、QR読んだらスマホで飯も買えるし美味い。漢字が読めるって最高だ。
歩いているとショッピングモールがあり、飲み物を買おうと入るが、すぐにそのショッピングモールの様子がおかしいことに気づく。入口からはスポーツ用品店しか見えないのに、中はなんというか、中野ブロードウェイを明るくしたみたいな感じだ。痛バッグ専門店やアクスタ専門店、漫画のキャラの等身大パネル。いや、ここオタクビルじゃん!
すっかり面白くなって、二人でコーヒーそっちのけで全ての店を回ることにした。オタク…オタクビルというかほぼ中身はミニアニメイトの雑居だ。「打破次元壁 万物皆可AI」と書かれた変な看板もあった。
エスカレーターで3階に上がったところで、爆音で日本語の音楽が流れていることに気付く。これはボカロの曲ではないかと近づいてみると、コスプレしたオタクが広場を囲むように座っていて、知っている曲が流れたら立ち上がって踊る謎のスペースだった。ステージの奥にはプロジェクターで「宅舞無限 -Otaku Dancing Infinite-」と映されていた。
皆、堂々とした踊りぶりだ。他人の目をいい意味で気にしていない。素人でも、みなかっこよく見えた。
モールに入る前の観光地の撮影スポットではおじさんもおばさんも、昭和の俳優のように決めポーズをとって写っていた。突然精神性を理解する。中国では、遠慮とか冷笑とかがメジャーじゃないんだ。冷笑アイランドこと日本から来た私は、その後、宅舞無限を立ったまま1時間も見て、次の日も来て2時間見た。
冷笑の時代は終わるんだ。
しかし私の心に冷笑はまだある。その冷笑を最後まで殺しきらないといけない。そう思った。
そして15年前の友人にメッセージを送った。「あの時は反発してごめん、君は中国でこれを見せたかったんだと分かった」。「私も当時は意見を押し付ける傾向があったからなw」とすぐに返事が来た。

20260624
事前に仲間とよく与太話をしておく。自分は夜型なので、0時過ぎにお茶会が始まる。 与太話こそ未来を作ってくれる。
天気の良く調子もいい日に外出し、少し歩いてお気に入りのテラスのあるカフェに行く。作文は脳の余白を使うため、外気の下の方が酸欠になりづらくていい。
ノートに書きたいタイトルを出していって、リストができたら一旦しまう。やることがたくさん見えるとだるく見えるからだ。
ノートに手で草稿を書く。パソコンやスマホは光って忌々しいので、なるべくしまっておく。人から連絡が来たりすることは面白すぎるので、書くこと以上に面白いことがないよう、環境そのものを調整しておくのが大事。
帰ってパソコンを立ち上げ、音声認識をオンにして草稿を読み上げる。文のテンポ感もついでに調整できてお得。
句読点を入れたり誤字を直したり、全体を見ながらいい感じにしていく。完成。重要な文を書くときには、仲間にツッコミを入れてもらう。
これは、パソコンの画面を見つめていても気が散るばかりの自分用に作った方法です。多少手の筋肉は必要ですが。

20260527
真面目に働くことにしたので、営業活動としてチームで京都のビットサミットを訪ねた。
ビットサミットはインディーゲームを中心としたゲームイベントで人がたくさん来る。そこで仕事募集中のビラを巻けばいずれ声もかかるだろうという算段だ。なんとなくゲーム業界の人々は我々のことを嫌っているような風に思い込んでなかなかイベントごとに顔を出していなかったのだ。
行ってみると意外にも温かく迎えてくれる人々も多かった。「今何も作ってないんですか?もったいないですね…」と声をかけてくれる人もいた。(もったいなくないよ〜不安なまま世界をエンジョイしているからね)
挨拶回りにも満足したので、疲れないうちに京都の街でも遊ぶことに。
ソバを食べ、おしゃれなカフェに行き、ワインを立ち飲みし、鴨川を眺めた。
最後に面白いらしいと評判の占い屋に行った。80歳近いおばあさんが座っていて、誕生日を伝えると、半分広告に覆われたスマホでなんらかの計算を始めた。「最近の人は120まで生きるのが当たり前なのよ!」と紙にガサガサと文字を書いていき、言った。「アンタ、103歳からスターになるわよ」
どんな未来だよ!

20260515
地に足をつけるとマジでいい。夢を追うなという話ではなく、椅子の話だ。
私は身長が低い。私にとってデカすぎる椅子は数あれど、小さすぎる椅子にはほとんど出会ったことがない。
私の父はアメリカに行った時ロングと呼ばれていたという。座るとみんなと同じぐらいの座高なのに立ち上がると誰よりも背が低い。座高が長いのだ。そして私はそのロングの娘となる。
オフィスチェアを限界まで低めてもかかとがつかず、常に爪先立ちみたいになってしまう。自分は足がしっかり地面に置かれていないと集中力が分散してしまって仕事にならない。
オフィスチェアに座ると車輪の上のところにつま先を乗せて、なんとか安定する。座るというより落ちないようにしている感じだ。劣悪な労働環境と言える。
椅子屋の兄ちゃんに相談したら、足台を使って足を高いところに置くといいですよ、と眠たいことを抜かしてきた。足の短い人間を舐めないでいただきたい。オフィスチェアは安定のために、車輪がついている軸がヒトデみたいに広がった形をしている。そのヒトデの部分に当たらないような場所に足台を置くと、その時点で足が遠い。届かない。つま先で足台に触れると、足台自体が滑ってどこかに行ってしまう。足が長いやつが頭で考えたような方法がロングの娘に通じるわけない。ガキの頃を思い出してみろって!足ブラブラさせながら成し遂げられたことがいくつあるんだよ? 足が浮いてるとマジでなんにも集中できないんだって!
しかしそんな私もようやく自分向けの椅子を見つけることができた。無印の箱である。箱なので物も入る。足がしっかりつく。ちょうどよい箱だ。この箱に座り始めてから全ての仕事がうまくいっている。冗談ではない。進捗が常に1.5倍ぐらいある。背もたれがたまに恋しくなるけど、足がつく方がはるかにいい。
というわけで、Xemono社の社長席は箱となっている。

20260503
自ら望んで不安な状況に身を置いたというのに、いざ不安になってみると怖くて仕方がない。惰性という安心ゾーンを出てよりマシな生活を手に入れようとそうなったのだが、ここまで習慣の引力が強いとは! こんな選択間違いだったのではないか、と後悔が次々と襲いかかる。別にうまくいってなかった過去を掘り返しては「この時もうまくいってなかったじゃないか」と自らの理屈に苛まれている。AIに「私って間違ってましたかね」と聞けばAIは4秒とか考えて得意の慰めをペラペラと出力し、自分は「無理じゃん無理じゃんこんなの自己正当化すぎるよ」と履歴を消す。
どうしたらいいんだよ。まだ考えている。
最近、ほぼ3年ぶりに自分がデザインしたゲーム(ニディガ)で遊んだら、記憶より自分の優しい手つきが見えたし、思い出せた。触りがたい傷から直視できる何かへと変化したのだ。そうしてまた仕事をやってもいいかの気分になって仕事を募集し始めた。自己反省する力も何となく復活して、色々と改善している。本当に恥ずかしいので反省した内容は書けない。
留学に行くと日本語が恋しくなっちゃうみたいな現象が起きているなと思う。なぜか文章まで全然書かなくなっていて、これは良くないと今書いている。失くさなくていいものは失くす必要はない。
一時期文章を書くのって楽にならないかなと様々な小細工を弄していたのだけれど、これはもう習慣にするしかないと後になって気づいた。文章筋を鍛えるしかなかったんだ。
「文章って辛いですよね?」なんてピアニストに「ピアノ弾かずに済まないんですか?」と聞くようなものだった。
大昔に通っていた大人向けのピアノ教室では、まず座り方を教わるのだった。ピアノの鍵盤のサイズは規格で全世界共通だ。座る位置が同じなら、どのピアノも同じように弾ける。迷ったら黒い鍵盤の出っ張っているのを右手と左手で捕まえて、肩の距離感を思い出すように言われたのだ。
自分も今手探りでつかむべき基準を探している途中なのかもしれなかった。
20260501
動画企画を始めるために、自分のPNGTuber用のキャラデザを津倉冴さんにお願いした。津倉冴はXemonoのキービジュのイラストなどでずっとお世話になっている。
津倉冴はキャラデザするにあたって、「その人の欠点を聞きたい」と言う。なんでもデザインによってその人の欠点を欠点に見えなくすることができるという。
例えば人当たりはいいけど実は人間への興味がないという人が優しそうな見た目をしていると、人間への興味ない発言をした時にすごく怖く見えてしまう。しかし、最初から二面性がありそうな見た目にしておけば、多少怪しい発言があったとしても「出た!ダークサイドだ!」と喜んで受け取ることができるという。
すごい話を聞いてしまった。Vを作る人ってこう考えるんだな、自分も頼まないと分かんなかった、と思いながら、社員を呼んで私の悪口を存分に言ってもらう。
数日後、上がってきたデザインに驚く。イケメンすぎる※。「大丈夫? 私って結構ガハハとか笑いますが……。」と言うと津倉冴は「喋ってる内に馴染んでくるという現象が本当にあるし、今の自己像に合わせていくより最高の自分を着こなしにいくのが秘訣だと思ってる!」と言う。やっぱりまたそれにも驚いてしまう。
キャラデザは視聴者からプライバシーを守る盾であるだけでなく、より良い存在になるための武器でもあるのか。すごすぎる。津倉冴、お前を信じるよ。
あまりに感動したので会う人会う人にそのことを話しまくっていると、学者の友人が「素の自分で喋る方が辛いということもありますね」と言う。仕事で講義とかしてる人は説得力があるな、確かに学生の好奇の視線に晒されながら話すのは大変なことだろう、とそれにも納得する。
※私の普段の発言って、イケメンが言ってると思えば許される、ということか、後から気づいた。

20260428
下北沢が好きだ。下北沢がめちゃくちゃ好きだ。
私の友人は下北沢は毎日学園祭みたいな街なんだよと言った。本当のことだと思う。
下北沢は演劇の街で古着の街でバンドの街で、必要なものは何もないけどいらないものは全てある。マジで歩いてる人みんな何しに来てるかわからなくて、それが一番いい。
事務所から出て街を歩くと、人々の活気の純度の高いやつを吸い込むことができる。駅前のバンドマンは「憧れが現実になったとき、突きつけられるものってありますよね」とか話してるし、路地裏では芸人の卵が練習していて、スーパーの裏では下半身だけ着ぐるみを着た小柄な女性が1000円札の束を数えている。少し中心から逸れると立派な家の立ち並ぶ住宅街で、おばあさんが二人歩きながら「ささいなことよ〜」と笑い合っていて、詳細がわからなくてもよかったねと思う。活気のある街で人々は勝手に話している。
下北沢といえば再開発の話が取り沙汰されるけど、自分は新しい部分も古い部分も好きだ。線路が埋まったり浮いたりした道は歩きやすいし、謎の植物が植わったおしゃれな道沿いのテラス席でなんか飲んだりするのもいい。
一方で、古い店には怖くてなかなか入れない。下北沢は好きでも、まだ7年ぐらいしか居座ってないからだ。でもそれも良い。深層がある街だと思う。
駅前には妙にエンタメ性の高いオオゼキがあって、巨大なフェンネルや謎の魚を売っている。向かいのダイエーも24時間開いててありがたい。
一度は高円寺とかに事務所を移そうとしたこともあったけど、なんやかんやで下北沢に居座り続けて7年経った。それに、下北沢はゲームフリークが初代ポケモンを作った場所でもある。
下北沢は毎日学園祭みたいな街だ。その実態が、主に他所から持って来たものを披露するだけの刹那的な場所であったとしても、ディスクユニオンの上階にゲームフリークの事務所があったらしいことを思うと、何か新しいものをこの街で作ることは不可能ではない、と思い出せる。
20260401
Xemonoもめでたく8期目を迎えました
これは7期目にやったことのまとめです
https://noubrain.hateblo.jp/entry/2026/04/01/014028
今期も色々やっていこうの気持ち
20260202
誰も探してない場所を探そう!と思い立った。誰も探してない場所を探せば、誰もまだ見つけてない何かがあるかもしれない。
google mapを開いてみると、近場は大体人間が踏破済みだ。道路沿いなんて踏破どころかアスファルトまで敷いてある。旅行は諦めた。けど、やっぱりまだ探している。
横になると、恥ずかしかったこととか、思い出すのもしんどい記憶とかが蘇ってくる。憂鬱だ、外に出たい、と思った。しかし起き上がる気にもなれずに足をパタパタやっていると「いや、ここじゃないか」と思った。自分の触ると痛いところってまだ自分も踏んでない。探すべきは、傷沿いなのかもしれない。そういうわけで、まだ探している。
20260126
最近人生から嘘の比率を減らしたいと思っている。カラオケでamazarashiを歌いまくっている時にそう思った。自分に嘘をついていたら書けない歌詞だと思ったのだ。
自分に嘘をつくと素直ではなくなる。素直でなければ、他人の切実さにも接近できないだろう。切実さを持たずに自分が何かをする意味は、もうあんまりない。
20260123
いい大人が本気で怠惰をやるとどうなるか知りたくなったので、怠惰合宿をした。おやつを買い込んで、床にフカフカのカーペットを敷いて社の人々と寝転んだ。たまにすごくいい安らぎ穴に落ちることができて、よかった。将来の心配などで何度も引き戻されたけど、それでもすごくよかった。botの試作品をいくつも作って、botの暴走を見ながらみんなで笑って、また寝た。
怠惰合宿、またやろう。
20260119
文章を書くのは好きではない。
どうしてこんなことをしないといけないんだ、と思いながら、上手いわけでも美しいわけでもない言葉をひり出している。
本当はわかっている。言葉にしないと頭の中は誰にも伝わらなくて、伝わらないのは寂しすぎるから、自分はこんなことをしているのだと。
20260115
自分は話が長いやつの話を聞くのが苦ではない。わかりづらい話だとしても、いつかわかるかもなと思って聞いていることができる。最近これしか大事じゃないかもな、と思ってきた。かったるい話を最後まで聞く時や、長考している人の長考を待っていたりする時、その人の切実さに接近しているように思う。
20260109
「順番が違うんだ」と友達と話す。「何かを理解したから物を作るわけではない。まず、この状況をどうにかしたい、という切実な気持ちがあって、そこから今できる解決策を組みあわせ、できるだけ遠くにみんなで行く、これが物を作るってことなんだ。」そういうと、友達は「やる気が先にあって行動する、というのは実は逆で、動き始めないとやる気が出ないという話と同じで、実は順番が違うという話ですね。」と言った。

20260107
ずっとマングローブを育てていた水槽にメダカとエビを入れた。かわいいね

20260105
新年の街を歩いていると、占い師がいて、「今日がデビュー戦なんです」と言っていた。面白そうなので占ってもらう。
占い師は、手に対して明らかにデカすぎるカードを不慣れにシャッフルして「はみ出してきたカードを並べるんです」と言っていた。早速3枚飛び出してきて、1枚はデッキの予備カードで、「Let's share the world of Tarot!」と書いてあった。占い師は「このカードは、シェアしましょう!という意味ですね!やっていきましょう!」と言った。ちょっと特別な体験をしたかもしれない。
20260101
探すと何かある
ナメずに最初から知る
でやってます